世界のスピリチュアルアート

スピリチュアルアートとは

スピリチュアルアート

1543年にポルトガル人が種子島を訪れてから、日本はヨーロッパ人からさまざまなことを学んできました。鉄砲、地球儀、遠近法、メガネ、カボチャ、スイカ、トウモロコシやタバコの栽培など、数えたらきりがありません。しかし日本人はヨーロッパ人のことを「南蛮人」と呼んでいました。「南蛮人」とは南から来た野蛮人という意味です。
ヨーロッパも同様で、古代ギリシャではギリシャ語を話さない民族を「barbar」と呼んでいました。これは野蛮人という意味です。ローマ時代にはローマ人以外の民族はもとよりキリスト教徒ではない民族も「barbar」と呼んでいました。
このようなことは、どこでも同じで、自分の属する民族の考え方や文化が正当で優秀であり、他民族は野蛮で劣等であるという偏見を持った考え方です。植民地時代に起きた、先住民族への殺戮、虐待や搾取といった、人間性を無視した蛮行はこの考え方によるものです。
ピカソは、1906年にアトリエを訪れた友人のマチスから、アフリカの彫刻を見せられ愕然としました。それは、疑いもしなかったヨーロッパ的な美意識とはまったく異なった考え方で作られていたからです。ピカソは、1907年に有名な「アビニヨンの娘たち」を発表し、これをきっかけに新しい美術運動であるキュビズムを始めたことはよく知られてます。
日本では、ヨーロッパや中国以外の歴史や文化を学ぶ機会がほとんどありません。しかし、実際には、民族の数と同じだけ異なった考え方や文化が存在しています。また、必ずしも、科学先進国や文明国の美術の方が勝っているという確証はありません。
アフリカはもとより、アジア、オセアニア、インドネシア、フィリピン、ヒマラヤ、そして日本にも先住民族が住んでいて独特の考え方と文化を持っています。それらの美術は、ときには強く、そして美しく私たちに語りかけてきます。
「グローバル化」という言葉が叫ばれて久しいのですが、本当のグローバル化とはさまざまな民族の文化や美術を知ることから始まるのではないでしょうか。

アフリカの美術

アルジェリアの南にある紀元前4000年のタッシリナジェールの岸壁画には仮面を付けた人物の像が表現されています。そこにはすでに、コートジボワールのウォベかゲレの人々が用いているようなマスクが描かれています。このことは、昔、サハラ砂漠が緑の草原であったころ、すでにこのような仮面が存在していたという証拠です。ここでとり上げるアフリカの美術は、西アフリカから中央アフリカの森林地帯で作られたものです。マスク、立像、テキスタイル、楽器や道具に至るまで、長い間のアニミズム信仰によって生み出された独特のスタイルを持った美術です。アフリカの美術の考え方は、ヨーロッパや中国が求めてきた、直線、円、平面や球などの整った形、同じパターンの繰り返し、シンメトリなことや写真的なリアリズムとはまったく正反対です。自然界にない形は、むしろ嫌われ、歪んだ形や、誇張したデフォルメが尊重されています。2500年前のナイジェリアのノック文化のテラコッタ像には、すでに誇張した楕円形の顔と三角形の目が存在しています。また、コンゴ民主共和国の諸民族の、極端にデフォルメした形のマスクはアフリカの美意識がよく表れたものです。

オセアニアの美術

オセアニアとは南太平洋の地域で、メラネシア、ミクロネシア、ポリネシアのことです。そこには、オーストラリア、ニュージーランド、ニューギニア島、ソロモン諸島、フィージー、トンガ、サモアなどの島々が含まれています。この地域には数えきれない民族が暮らしていて、それと同じ数の文化と美術が存在しています。オセアニアの地域は、60年代の比較的最近まで独自の文化を守っていましたが、近代文明の影響によってその独自性は急速に失われています。多くの民族が海や河川を利用していて、水にまつわる文様が多いのですが、すべて祖先崇拝やアニミズムによるものであり、各民族が独特の形や文様を持っています。

インドネシア、フィリピンの美術

この地域には70以上の異なった民族が住んでいますが、インドネシア共和国として成立したのは第二次大戦後のことです。ジャワは、紀元前後にインド人が渡来し、ヒンドゥー教や仏教を伝えました。8世紀から9世紀はボロブドゥールを作ったシャイレーンドラ朝、その後サンジャヤ朝、クディリ朝、シンガサリ朝、マジャパヒト王国、マタラーム王国と続き、オランダ東インド会社が進出して植民地化が始まりました。ここで紹介するのは、そういったジャワ王朝の美術ではなく、その他の民族の美術です。スマトラ島にはバタックなどの民族、ニアス島、スンバ島やティモール島などにも独特の文化を持った民族が住んでいます。それらの民族が作る美術には特有の表情や文様があり、また高度な技術で織られたイカット(絣)もよく知られています。フィリピンにも多くの民族が稲作を中心とした暮らしをしていました。彼らの文化や美術もまた独特で興味深いものがあります。

ヒマラヤ、ゴールデントライアングル地域の美術

ヒマラヤ周辺はネパール、チベット、ブータンそしてインド北部には、今も山岳民族が暮らしています。いつの頃に始められたかは不明ですが、存在感のあるシンプルなマスクや立像が存在しています。また、チベット仏教の影響を受けた独特の美術も存在しています。

アジアの美術

アジアは広い。西のアフガニスタンやウズベキスタンから東の日本まで、数えきれない宗教と文化が存在しています。多くの民族が中国の影響を受けていますが、独自の文化も少なくありません。日本のアイヌもその一つです。

アフリカンアートミュージアム所蔵の
美術品の一部を公開しています。

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